January 2008
New custom theme variables for Reblogs
New custom theme variables was added the other day. There are variables for reblogs in them. When they are used, a previous person who did “reblog” and the person who contributed first post are displayed.
For example, in this way.
{ block:RebloggedFrom }
<p class="reblog">
Reblog from : <a href="{ ReblogParentURL }" title="{ ReblogParentTitle }">{ ReblogParentName...
「差異」の差異――ドゥルーズとデリダ―― →
「表象」を無限の力で転覆したのちに提示されてくるものは、これら二つの像である。この二者を安易にクロスさせたり調和させたりすることなく、文化と自然という差異線の新しいかたちとして受け止めること。そしてそれが根拠なき今において与える示唆と拡がりとを考えること。デリダとドゥルーズを読むという営為は、こうした仕方でこそ引き継がれていくべきではないか。
link Phenomenological Association of Japan (日本現象学会)
それは調和性をおもわせる<生(生ける)>という事態であるというよりは、齟齬や破綻を引き受けながら<なまなましく(生々しく)>うごめく物質の姿である。生命がパラドッ...
– via 「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ
それは有機的な生ける連関を解体し、神秘的な生命の力に言及することを退けながらも、単純な反復としての物理的なものへと回帰するのではない、唯物的な生命の力を見いだして...
– via 「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ
無限が「表象」にたたき込まれることは不可能なことである。だからドゥルーズも、デリダといささか類似したニュアンスで、こうしたあり方を「解けない問い」と語りもするだろ...
– via 「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ
「表象」とは<私>がそれを生きるかぎり有限である。しかし流れる時間、存在する世界、語るべき事象は無限である。
– via 「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ
<不可能>なもののリアリティー/<過剰な実在>を生産し続けるリアリティー
<外>の侵入と/溢れ出す<内>...
– via 「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ
ドゥルーズ的な「表象」を食いちぎる「怪物」と、デリダ的な「表象」につきまといつづける「亡霊」
– via 「差異」の差異 ドゥルーズとデリダ
「集合知」なんてものより、「集合脳髄解体」にこそ
– via Starless And Oriai Black - 集合脳髄解体への果てしない道 そのデリダからドゥルーズへ。そして、さらにその先へ…。
作曲する人たちの間には、「人に真似されるようになれば一人前」ということわざがあります。これは普通、自分のスタイルを確立し個性的な曲が書けるようになることを言ってい...
– 盗作とは何か (via derutcarf)
今日の夕方、農道をそそくさと歩いている猫がいたからニャーって挨拶したら、
猫が立ち止まってニャーって返してまたそそくさと歩いてった。
いい気分だ
– via No.648 挨拶 - コピペ運動会
言葉はときどき
気持ちにいじわるをする。
それでも、ひとはひとに
何かを伝えて、生きていく。
ずっと前から。ずっと先も。
– via ako.sKrapbook
Beautiful. — poortaste — asprettyasasong
Hood - You’re worth the whole world - Nodes visual on Vimeo (via Vimeo)集合知というのは幻想です。どこかになにかが集合するわけではありません。人は明滅するパルスのような、その身体と身体が出会ったときに生まれる光のようなものそのものです。識です。 神様がどこかにいるわけではないのです。生まれたパルスそのものが世界でそれを神と言うのが汎神論で言霊ともいえると思います。ブーメランのように放たれたパルスがもう一度自分に帰ってくることもありますが、それも自分が死ねば観測不可能です。俯瞰でみることができたらそれは虫のようなもの。 神様ってのは虫みたいなものだよ。と澁澤龍彦が言ってましたが、まさにそうだと思います。(via Twitter / artron)
日本語は「動く虫の視点」であると言われる。
– 日本語の主語と述語
文字の事を話さなければなりません。人麻呂はあの歌を記すために、支那の文字を使いました。が、それは意味のためより、発音のための文字だったのです。舟(しゅう)と云う文...
– via 芥川龍之介 神神の微笑 (図書カード:神神の微笑)
「日本」が「日本流」をつくりだすプロセスに共通なOSのようなもの、プログラミング言語の文法のようなものがあったことも研究するべきである。
– via 松岡正剛の千夜千冊『てりむくり』立岩二郎
ジャック・ラカンが、日本語のような文字の使い方をする人々には精神分析をする必要がないのではないかと言ったことのほうが、何かを暗示していた
– via 松岡正剛の千夜千冊『日本精神分析』柄谷行人
病名がマスコミに出ると患者が増える
– otsune
不健全な人は、心療内科などには通わない。
– via Twitter / freezing
フロイトの精神を分析することがフロイトの精神分析学である
– via 松岡正剛の千夜千冊『モーセと一神教』ジグムント・フロイト
伊集院が昔言ってて心の底からこの人は頭がいいなあと感心した話。
まずみんなが集まっているところに伊集院が行って...
– 体験談:伊集院の霊能力者への考察 [哲学]
名のない領域
何よりもすすめたいのは
「水のようであれ」ということだ。
水はあらゆるものに命をあたえる。
養ってくれる、そんな
大変な力をもっているのに
争わないのだ。
人のいやがる低いところにも
流れこんでゆく。そして
タオにつながる人もまた、水に似て
低いところを好む。
心を求めるときは
最も深いところを喜ぶ。
(中略)
こうした人の生き方を貫くのは何か
それは、
争わないということだ — 水のように。
だから誰の非難もこうむらない。
『老子〈第八章〉』
引用:「伊那谷の老子 / 加島祥造著」
— suwaowalog
突き抜けたあとの無為無常をまだ僕らは
– goozen-no-goo
「その種の思考は、単一の世界を引きさいて、客観的事実と主観的内面とにわけた」...
– via rlung rta » Blog Archive » 読後メモ:『モモ』と考える時間とお金の秘密